『日常の中の朝』
朝の食卓
閑静な住宅街に一際大きな邸宅がある。
青い屋根に白磁のように真っ白な壁、綺麗に整えられた生垣に庭。
一見すると中にはお金持ちが住んでいそうな中世のお屋敷のようだ。
しかし
「亜矢ーっ!!!」
ビリビリと耳をつんざく怒号が朝の澄んだ空気に響き渡る。
街の人々は「また、立川さんちか」と家族で笑いあった。
「いい加減起きんかぁっ!」
「ふぁいっ!」
邸宅の一室、二階最奥の部屋で一人の少女が飛び起きた。突然の怒号に目を白黒させている。
「ようやっと起きたか・・・」
「はれ?地球お姉ちゃん・・・?」
寝癖でぼさぼさの髪を押さえ、まだ完全に起きていないのか、半分も開いていない瞳で目の前にいる女性を見上げる。
地球は呆れたようにため息をつき、重心を傾け腰に片手を当てた。
「さっさと、顔を洗って来んか。髪も悲惨なことになっとる」
「今何時ぃ〜・・・?」
「7時じゃ」
地球はあっさりと現在時刻を告げる。
それを聞いた亜矢は、目をこすりながら頷いた。
「7時かぁ〜・・・じゃぁ、あと、五分・・・」
そう言って再び布団に潜ろうとしたときに亜矢は、はたと気が付く。
そういえば、きょうは朝練が7時30分からあったはず・・・
「って、7時ぃ?!」
ガバッと勢いよく起き上がると、地球の横を風のように・・・・とは言わないが、全速力で駆け抜けた。
地球の長いポニーテールが妹の巻き起こした風に靡いた。
「どうしてもっと早く起こしてくれなかったのぉ?!」
寝巻きを脱ぎ捨てながら亜矢は叫ぶ。
「わしは起こしたぞ?6時と6時30分にな。それでも起きなかったのはお前じゃ」
銜えた煙の出ていない煙草を揺らしながら、地球は二階に降りる。
すでに制服に着替えた亜矢は鏡に向かってうめいていた。
「きょう7時30分から朝練なのにぃ・・・あー、もう、寝癖が直らないぃ〜」
「全く・・・」
洗面所の入り口に凭れて呆れ顔で亜矢の様子を眺めていると
「また相談を受けていたんですよ」
「亜紅亜・・・」
リビングからエプロン姿の亜紅亜が顔を覗かせた。
「またか・・・亜矢もお人好しじゃのぅ・・・」
「まぁ、電話代は向こう持ちでしょうし?それならいくらしてくれても構わないです」
「相変わらずちゃっかりしとるの」
亜紅亜の言葉に地球は呆れたような感心したような口で返す。
「しっかりしてるといって欲しいですね」
露骨に眉を寄せて、まじめに返すと亜紅亜はキッチンに引っ込んでしまった。
亜矢はいまだに髪を直している。
「う゛〜・・・」
すると、そこへショートヘアの少女が降りてきた。
「ふぁ〜・・・まぁたやってんの?」
タンクトップ短パンというラフな格好の少女をみて、今度は地球が眉根を寄せた。
「阿楠、もう少し節度ある格好をせんか」
年頃の娘がはしたない、と呟きながらリビングに入っていった。
「いつものことなのになぁ・・・ふぁ」
もう一度大きなあくびをしながら階段を降りきると、不意に茶色い物体が露出された阿楠の肩に置かれた。
阿楠と同じ顔をした少年が阿楠に制服のブレザーをかけたのだ。
「いくら夏や言うても、風邪引くで?」
すでに制服に着替え終えている関西弁の少年が阿楠の両肩に手を置いて、心配そうに見つめる。
その瞬間阿楠の肩が微かに震えたが、すぐに治まって上着を胸に引き寄せるようにしてそっぽを向いた。
「わかってますよ〜だ!おせっかい阿梳っ」
下をべっと出してあかんべーをすると阿楠はパタパタとリビングへ入っていった。
その小さな背中をどこか寂しそうな瞳で見つめて、阿梳は鞄を取りに二階へ上がっていった。
****
「ごはん〜」
ようやく髪を整え終えた亜矢がリビングに入って来た。
そこにはひとつの大きなテーブルと11個の椅子を中心にしてひとつのデジタルテレビとソファがあるだけだった。
椅子には二人が腰掛けていた。一人は地球で、すでに朝食を食べ終えたのか、コーヒーを飲みながら新聞に目を通していた。
もう一人は金髪の少女。黒髪ばかりのこの家ではかなり目立つ。
しかし、何より気になるのは頭にかぶった緑色のキャップ。屋内だと言うのに決してはずす気配がないのだ。
その少女はたった今朝食を食べ終えたところだった。
「ごちそうさまでした」
パチッと手を合わせて頭を下げてから皿を運ぶ。
「あ、弧鉦ありがとうございます」
皿を受け取った亜紅亜は弧鉦の頭を撫でる。
少し照れくさそうに笑い、椅子に戻ると横においてあった鞄を持ってリビングから出ようとする。
「私先に行くね?」
リビングに入ってきていた亜矢の方をポンッとたたいてにっこり笑う。
「お寝坊さん♪」
そう言って弧鉦はリビングに出てった。
「弧鉦に見捨てられたぁ〜!」
かなりショックを受けたようで顔を歪ませて叫ぶ。
「お姉ちゃん!朝ご飯いらない!」
くるりと反転して行こうと足を踏み出したが、進まない。おまけに息が苦しい。
恐る恐る振り返るとにっこりと笑った亜紅亜が首根っこを掴んでいた。
「だめですよ?亜矢。遅刻しても何しても朝ご飯はちゃんと食べてくださいね」
「はい・・・」
亜紅亜の有無を言わせぬ語調に子猫のようにシャツの首根っこを掴まれた亜矢は、ただうなずくしかなかった。
「ほら、早く座って食べてください」
亜矢を解放すると、胸元にアヒルがプリントされたエプロンを外す。
おとなしく従って、いつの間にかリビングに入ってきていた阿梳の隣に座った亜矢は机を見渡して疑問に思う。
「あれ?他の3人は?」
本来なら全て埋まっている筈の11個の椅子は今六つ開いていた。
うち2つは、先に行ってしまった弧鉦と、食事を運んでくる亜紅亜のもの。
そして1つは主を失った椅子。残りの3つは闇と亜里守、飛鳥のもの。
「姉さんはきょう球技大会だから、その準備のために早めに出た。亜里守は・・・・・・知らぬ」
「地球姉さん、亜里守はちょっと用があるからってついさっき学校に行きました」
きっぱりと言い放つ地球に、椅子に腰掛けながら亜紅亜が付け足す。
「飛鳥お姉ちゃんは?」
「姉ちゃんなら」
この問いには阿梳が答えようとしたが、口を開いた瞬間上の方でバタンッという勢いよく扉が開く音がした。
次いで、同じ音がした。と思ったら今度はばたばたと階段を駆け下りる音がして、リビングの引き戸がスパーンッと開いた。
「お姉さまはどこにいるんですの?!」
「お前の姉ならここに2人いるじゃろうが・・・」
片耳を押さえて不機嫌にそう言ったのは地球だ。
「飛鳥、もう少し静かに起きてこれないんですか?」
飛鳥の問いを気にも留めずに、亜紅亜が注意する。
「私のお姉さまは亜里守お姉さまだけですわっ!姉さま達ではありませんっ」
飛鳥は飛鳥で亜紅亜の注意は無視である。
リビングをきょろきょろと見回し、台所を覗き込み、さっきの気の強さはどこえやら、今にも泣きそうな声で
「お姉さまぁ・・・?」
それを見ていた地球は本日何度目かわからぬため息をついた。
「まだ朝じゃぞ・・・亜里守ならもう学校に行きおったぞ、用事があるとか言ってな」
最初のつぶやきは誰にも聞こえないほど小さな声で、ため息の数にまたため息をついた。
「そんな顔してたって亜里守が知ったら心配しますよ?」
亜紅亜は飛鳥の頭を撫でてから微笑んだ。
「さ、朝食を食べてください」
そうしている間にも、亜矢はご飯、味噌汁、焼き魚、漬物、サラダ、水とかきこんで朝食を食べ終わった。というか、飲み終わっていた。
地球はその様子を見て眉をひそめながらも、見てみぬふりをしてコーヒーを呷っていた。
「ごちそうさまっ!」
食器を大急ぎで片付けて、大急ぎで階段を駆け登り鞄を引っつかみ、大急ぎで階段を駆け降りた。
「行って来ます!」
弓道具を担いで、勢いよく玄関を開けば
ガンッ
「っ・・・・!!いったぁ・・・・・」
なにかにぶつかり、その何かが悲痛の声を上げた。
「え?弧、鉦・・・?」
「ひっどいよ、亜矢ぁ」
その何かは緑色の帽子の上から頭を押さえてうずくまった。
「え、だって、先に行ったんじゃ・・・」
「亜矢を一人置いていくわけないでしょ?」
立ち上がって亜矢を振り返る弧鉦の目には少し涙が浮かんでいたが、その顔には満面の笑み。
そして、亜矢の目にも涙が浮かんだ。
「なにさ、ほんとに置いていったと思ったの?」
「だ、だって・・・」
愛しむように、亜矢の頭を撫でて額に口付けをする。
ピクッと反応し、目をつぶった亜矢を見た弧鉦はさらに笑みを深めた。
「さ、行こ?」
「うん・・・」
****
「まったく、朝は慌しいのぅ・・・」
「しょうがないですよ。朝はどうしても、ね」
亜矢が出て双子と飛鳥も出た後静寂が訪れた。
地球は亜紅亜に淹れなおしてもらったコーヒーを飲みながら、ようやくため息でない息を着けた。
「亜紅亜はきょうはバイトないのか?」
新聞に目を通しながら、きょうの予定を定めるために亜紅亜の予定を聞いた。
「きょうは・・・もうすぐ出ないといけないですね」
「なら、皿洗いはわしがやっておこう。用意等あるじゃろ」
「あら、いいんですか?」
新聞を畳んで、椅子を立った。腕まくりをしながら台所にいる亜紅亜の元へ行く。
「わしはきょう仕事がないからの、いわゆる暇人じゃ」
「そんなこと言って、株やってるの知ってますからね?」
亜紅亜の一言に苦い顔をしながらもスポンジを奪い、皿を洗う。
その様子にくつくつと笑い、亜紅亜は手を洗った。
「それじゃぁお言葉に甘えて、準備、してきますね」
パタパタとスリッパでリビングから消える亜紅亜の気配を感じながら、地球は微笑んだ。
慌しいと文句を言うものの、自分はこの状況を楽しんでいるということに地球は気づいていた。そして、亜紅亜もだろう。
この慌しさがあるということは、平和な証拠なのだから。
「わし達家族には波乱が多すぎた・・・」
過去の出来事達を振り返れば、どれも辛いものばかり。だけど、その中にも幸福はまざっている。
決して辛さだけの記憶ではない。
だが、今のこの環境は、どの記憶を覗いてもなかったはずだ。
皆が平和に、快適に暮らせている証拠。
日常の中の朝。
わしら姉弟にとったら、なによりも特別で、大切なもの。
あとがきと言う名の言い訳
えっと、まぁ、なんか、亜矢と弧鉦がメインみたいな話になってしまいました。
だがしかし、この序章1はあくまで皆のお話です。
ちょっと作者が亜矢と弧鉦が動かしやすいからって、調子乗って出しすぎただけですっ!
主人公はみんなっ、それを忘れないでいただきたいです。
ではでは
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